“自分はここにはいない”
この感覚。辛いですよね。自分が入る余地がない。人はこう感じたときに”疎外感“を覚えます。
私の場合、そう感じたらそのことに時間を割くのは止めます。なにしろ、ストレスが溜まります。
精神的にも弱ります。この逆はいくらきつくても大丈夫です。疲労しても疲弊しません。
先日、朝7時半から打ち合わせが始まり、その後、9時、10時半、11時と小刻みに打ち合わせが続き、
11時半からはランチミーティング、その後、13時半からは、とある会議のファシリテーション、
その直後の15時から別の打ち合わせ、その後、場所を変えて17時から面談一件、終了後、
某所で2時間の講演。こういう日はアドレナリン出まくりなので、一日中元気でした。
私的にはよくある一日です。
ところがその翌日は「居場所がないなあ」という会議やイベントがポロリポロリ。たいした
スケジュールでもなかったのにぐったりしました。その日の夕方に地方に移動しましたが、
いつもは創作活動に没頭できる移動時間も集中できず、Youtubeなどを見てダラダラ過ごしました。
なので、“あ、ここは自分の居場所ではないな”と思ったら、適当な理由をつけて速やかに
消えるようにしています。その方が自分にとっては精神衛生上、健全なので、
私はある意味でラッキーです。自分の意思で“消える”ことができますから。しかし
、誰もが私のように“適当な理由をつけて消える”ことができるわけではありません。
明らかに居場所がないと感じていても、そこに居続けなければならない。
そういうケースの方が実態としては多いと思います。
“何もしないでいいこと”を心から享受できる人もいるようですが、多くの人はそうでない
と思います。誰もが自分が関わっていることであれば、なんらかの貢献をしたい、
役に立ちたいと思っているはずです。それが素直な心の動きです。
ところがそれが叶いません。力を注げることがない。“自分はここにいない”という
疎外感を感じながらも、そこに居続けなければならない。これは疲弊します。たとえば、
・ “あ、いいですよ”と祭り上げられ、やることがない
・意見を求められない
・みなが忙しくしているが、役割がないので何を手伝えばいいのかわからない
・何か手伝えることはないかと主体的に動くと“ありがた迷惑”の反応がある
こういう状態が続くと、出勤しても息を殺して定時を待つことになります。生き生きと
仕事をしていないので、真の笑顔はありません。疲弊が積み重なると老衰します。
そういう人が増えていくと組織から元気が失われていきます。
人材の生殺しです。
こういう“社内失業”系の人が散見されたら、そういう人だけを集めて、具体的な
ミッションを与えましょう。ただし、ミッション与えて放置はダメ。こういう人たちは、
気の毒にも“まっとうに仕事をすること”から離れて久しいので、どう動いていいのか
わからないのです。ここは動機づけのためにも立場ある人が干渉し、意見をし、ときに
ダメ出しをしたり、敢えて無理難題を言いましょう。それが、この人たちの過去の経験を
呼び起こし、復活につながります。
人のために仕事をつくってはいけない、と言う方もいますが、そうですかね。
それによって生き生きと働く人が増えていけば結果として業績もアップするのではないでしょうか。
見た目が実年齢よりも老けている人が多い会社は要注意。
おまけー1:先週、最もどうしたらよいかわからなかった話。
とあるビルのエレベータの中での出来事です。比較的よくいくビルなので、そのビルに
勤める女性となんとなく顔なじみになっています。ある日、その女性とエレベータで
二人きりになったときのことです。
突然、その女性のおなかがキュルキュルと大きな音をたてました。
さすがに照れ笑いをしながら、こちらに会釈してきます。私も“いやー”という感じで会釈。
その女性が私に背を向けた瞬間、今度はおなら! ・・・空気が凍り付きました・
何も起きていない、聞こえていないふりしかできません。
上にいくまでの時間の長いこと、長いこと。
この場合、どう反応するのが良かったのでしょう・・・
おまけー2:OTの新作の打ち上げを企画。幹事役のMさんから「**さんも呼んでいいですか?」と
メールがあり、「お正月の食べ物が麻雀で相手の捨てた牌であがる」と返事したのですが、
返信ありません。しばらくして「お後がよろしいようで」と返事。(つきあっていただき感謝。)
おススメコーナー:ビジネススニーカー、本当におススメです。カッコいいうえに楽ちん。
スーツに合います。特に大塚のこのシリーズ!(また買おう)
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