次世代リーダー育成塾の塾長をいろいろな企業・団体でやってきますと、
参加者の「学び」に以下の4つのタイプがあることがわかります。
「人からの教えでは学ばない」し、「自分でも学ばない」 (終わった人)
「人からの教えで学ぶ」が、「自分では学ばない」(学生)
「人からの教えでは学ばない」が、「自分で学ぶ」(独創家)
「人からの教えで学び」かつ「自分でも学ぶ」(超一流)
表出する割合としては2割が「終わった人」、5割が「学生」、2割が「独創家」、
そして1割が「超一流」という感じです。
厄介なのは「独創家」です。学びません。「学びました・・・」的な発言はあるのですが
素直には学んでいません。常に自分というフィルターを通して解釈するので学びに
ムラがあります。それがわかるのでもったいないなあと思います。
「独創家」は社内の評判がいいし、見た目も自信たっぷりなので、塾開始時には参加者の
中で一目置かれます。フリーディスカッションの場では進んでリード役を担います。
しかし、伸びません。
これは“自分フィルター”のせいです。
塾開始時には周囲の評価としてトップの座にいた「独創家」も、半年経過した後には
中位よりもやや上くらいの位置まで後退します。「超一流」にはどんどん差をつけられますし、
最終的にはすごく努力した「学生」よりも下の評価になってしまうこともあります。
ときに場を乱すような言動をします。学びの場は「良いコンテンツ」「良い講師」
「良い仲間」により成立します。真面目に学ぶ場を揶揄する発言が場づくりにネガティブに
働くことがあります。この点も困ったものです。
学業優秀と言われてきた人にこのタイプが多いように思えます。教わったやり方ではなく、
自分なりのやり方でできてしまう。それでいて愚直にやっている人よりもなぜか成績がいい。
この体験が、自分はデキるというプライドと驕りを生み、素直に学ぶのではなく常に
“自分フィルター”を通す習性を生んでいるのだと思います。
“自分フィルター”の性能は相当いいはずです。なにしろ“自分フィルター”を通すことで
省力的に学べたからです。ただ、仕事は違います。とくに様々な人間を相手にする役割・
役職になると大いに違います。かつての優れた“自分フィルター”の存在が逆にその人の
成長を抑制します。
告白すると、私は「独創家」タイプです。学生時代には授業で学んだ記憶がありません。
中学くらいまでは自分でずっと先までやってしまっていました。授業中は「もわー」とか
「うっぴー」とか言って、授業を妨害していた感があります。それでいて成績は上位。
先生的には厄介な生徒だったはずです。
ところが社会人になって、自分のやり方ではダメだと痛感することにたくさん遭遇しました。
“自分フィルター”の性能があまり高くなかったおかげで、早めに“自分フィルター”が
壊れました。良かったです。ただ、スーパー優秀な“自分フィルター”を擁し、
社会人になっても10年くらい通用してしまう人がいます。それが、選抜研修で遭遇する「
独創家」たちです。
Organization theater(OT:体験型ケーススタディ)はこういう人たちの“自分フィルター”を
壊すのに効果的です。しかし、壊した後に継続的に素直に学んでもらうための働きかけを
していきませんと“形状記憶”により戻ってしまいます。そこで、継続的に働きかけを
すると半分は「超一流」に変貌します。ただ、半分は“逃げます”。結果として
「終わった人」になります。こればかりは本人次第なのでどうしようもありません・・・。
おまけー1:自分の性質上「終わった人」になりがちなので、気をつけないといけないと
自戒しています。
おまけー2:“PVってなんの略すかね?”
夏の平日の夜。ファミレスで通路を隔てた隣のブースの声が聞こえました。ふと見ると、
スマホを片手に両手に入れ墨が入ったアニキ風の40代とその前に手下風の30代の男性二人。
“PVはポルノビデオだろ。”
“そうすか、おれ何だろうと思って・・・。ページビューじゃないんですね。グーグル間違ってる”
“おお、だいたいVってつくのはみんなそうだろ。AVとかさ”
“AV機器もそうなんすか”
“そうだ”
(これ以上長居すると危険なので退散)
おまけー3:東京五輪からミュンヘン五輪までの男子バレーボールチームを描いた「嵐と太陽」
(小泉志津男著)は小学生時代の私のバイブルでした。ふと思い出し、アマゾンの中古本で
見つけて「続」と「完結編」を購入。第一巻が見当たらないのが残念。
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