「同一労働同一賃金」。この考え方に反対するヒトはいないでしょうが、どのように
“料理”していくのか・・・。興味ありますね。しかし、このテーマだけに着目して
対策を検討してしまうと、おかしな展開になります。
そもそも「同一賃金同一労働」が叫ばれているのは「“非正規”社員の報酬が低過ぎる」
ためです。これを放置しておくと、好ましくないことが起きます。(あえて“非正規”
という表現を使っています。)
例えば:
‐“非正規”社員として働いている人たち(世帯)の生活保護・教育問題が拡大し、
社会保障費がさらに膨張する
‐“非正規”社員として働いている人たちの“不幸せ”感情・不満がさらに蔓延し、
世情が荒れる、
‐ 隙間の時間を活用して働こうというインセンティブが働かないので、主婦層による経済活動が
なされない(人口減少下の日本としては”人的資源“の有効活用がなされないのでGDPが
上がらない)
これは良くない。だからなんとかしよう、という文脈から出てきたのが「同一労働同一賃金」
だと思います。
となると、議論の深堀りの対象は「“非正規”社員をめぐる構造的な問題」のはずです。
ここを取り違えると「そもそも同一労働とは?」といった解のない議論に落ちていきます。
(もう既に落ちているのが気になります。)
国の経済は、ヒトの力(労働力、知力、ネットワーク力等)のシグマ(総和)で決まります。
日本は人口が減少しているので、全員が生き生きと活動していかないと将来が危ういです。
衰退してしまいます。だからこそ、生活しやすい、成長しやすい、働きやすい、そういう
国づくりを国民全員で目指しましょう、という動きがあるわけです。
これが「1億総活躍社会構想」だと思います。このスローガンに大賛成です。
しかし、進め方に課題があります。1億総活躍社会にするための”詰将棋“が見えないのです。
見えるのは詰将棋の一つ一つの要素の話ばかり。「同一労働同一賃金」はまさにその一例です。
全体の詰将棋の指揮がないと、各々の要素の議論になり、要素間の対立・衝突が起き、
前に進まなくなります。
これは企業においても同じです。全体戦略とその指揮がないと、それぞれの現場がその場しのぎ
の戦術でなんとかしようとします。一時的にはなんとかなりますが、あくまでも“その場しのぎ”。
全体観がないので成長していきません。戦術間の矛盾が表面化し、思いがけない方向に展開します。
さらに、“しのぎ”の連続で組織は疲弊します。
しかし、現場は現場で見えていることを一生懸命やっています。ここを批判しても仕方ありません。
全体の方向性、他のバランス、スピード感、これらを調整しながら詰将棋を進めていく動きを
誰かが担わないといけません。企業の場合、それを司るのがトップマネジメントの役割です。
まずは全体の詰将棋を整理すること。詰将棋とは戦略目標(ゴール)を実現するための道筋です。
全部門長と一緒に整理するのが理想的です。しかし、構造改革が急務の場合にはその限りでは
ありません。現場を指揮する部門長たちが従来の進め方の意識のプールに留まっているとしたら、
トップダウンでやり方を変えないと改革できません。
目先の現象に気を取られ過ぎると全体を見誤ります。全体観です。全体を司れるのはトップだけ。
見るに見かねて特定の詰将棋の要素を自らドライブし過ぎてしまうとバランスが崩れます。
ここは要注意。
さて、「同一労働同一賃金」問題。これは「“非正規”社員をめぐる構造問題」です。そもそも
“非正規”という呼称が良くないと思いませんか。ここでは便宜上“非正規”としていますが、
正規ではない、という表現を使う意識がおかしい。
この問題は深い問題です。そのうち持論を書きます。
「この国には何でもある。だが、希望だけがない。」(「希望の国のエクソダス 村上龍」。
この強烈なフレーズを思い出します。
おまけー1:岡部に向かう電車を待って東京駅フォームで立っていたところ、“Excuse me?” と
2回連続してアジア系の外人(しかもいずれも女性一人!)に声をかけられました。逆ナンではなく
、どの列車に乗ったらいいかという質問。アジア系の外人にしてみると話しかけやすいようです。
(そういえば、香港やシンガポールで日本人に英語で道を聞かれます。何人に見えるんだろう。)
おまけー2:昨日もタクシーに乗った瞬間に米国人の友人から着電。バカ話をした後で
タクシーの運転手さんから「チャイニーズ?」
「・・・、サイアニーズ」 と言いたかったのを我慢しました。