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「“マトリョーシカ現象?”どういうことですか?」
菊池は柴田会長に尋ねた。
「ロシアの民芸品のマトリョーシカをご存意ですね。胴体を上下に分割でき、その中に一回り小さい人形が入っているやつです。」
外資系メーカーに勤める妻の明子がロシアに出張したときにお土産で買ってきた。リビングに置いてある。5つくらい人形が入っていた。
「片岡さんは生産担当常務の荒木さんの推薦ですよね?」
片岡はインディゴブルー社のオーガニゼーション・シアター(OT)というメソッドでアセスメントしてもらった人材だ。荒木常務にしてみると、どんな課題を与えてもしっかりこなしてくる逸材。自身の後継者候補。それが荒木の片岡評だった。ところが、インディゴブルーのアセッサーのコメントを見ると片岡は次世代経営者候補としては「?」とあった。
「荒木さんにしてみると、片岡さんは極めて優秀な部下だろうと思います。ただ、今回見極めようとしているのは、将来の経営者候補です。部下として優秀であることと、経営者候補として優秀であることは見極めの視点が違います。」
おっしゃる通りだ。しかし、役員たちはみな優秀な部下を次世代人材候補として選んでいるのではないか?
菊池は選抜人材のリストを改めて眺めてみた。
「優秀な部下を自分の後継者だと考える人は少なくありません。ただ、多くの場合、その人がいたから映えていた人材なので、後継者となった後もその人がやってきたことの後追いとなり、かつ本人ではないのでスケールが小さくなります。これが続くと代替わりする度に経営陣のスケールが小さくなってしまいます。これを“マトリョーシカ現象”と呼んでいるのです。」
片岡は常務の荒木のアポを取り、柴田会長の話をぶつけてみた。
「いやいや、まいった。そう言われてみればそうだ。片岡は確かに優秀だが、俺のリクエストへの対応が素晴らしいということだ。でもさ、じゃあ、どうやって経営者候補を判断するんだ?自分の部下以外の人のことはよくわからんし、どう選んだらいいんだ?」
菊池は主たる役員に同じ質問をぶつけてみたが、いずれも荒木とほぼ同じ回答だった。優秀な部下を選んだ。部下以外は知らない。どうやって経営者候補を見出すのか。
「“マトリョーシカ現象”とはおもしろい表現だね。そうかもしれない。ただ、部長クラスの選抜でそういうことが起きていると問題だな。」
社長の飛田の洞察力はさすがだ。インディゴブルーの柴田会長からこう聞いた。課長から部長の昇進は入学方式にしないといけない。一つの課をマネジメントする課長と複数の課をマネジメントする部長では求められるものが大きく異なる。課長で優秀だったからということだけで部長にしてしまうと、課長の視座で部長をやってしまうので組織運営のレベルが落ちる。そこでマトリョーシカ現象が起きてしまうと。
「はい。柴田会長から同じことを聞いています。」
「で、荒木さんや役員のみなさんはどうやって経営者候補を選んだらいいか、わからなくなったと。そういうんだな。」
「はい・・・。困りました。」
「ははは、次世代人材がわからんか。困ったもんだ。」
飛田は笑うが人事担当役員としては笑いごとではない。
「一度、柴田会長に来てもらって、本部管掌している役員全員とワークショップをやってもらったらどうか。菊池くんとのやりとりでモヤモヤしているだろうからな。」
1か月後、役員会議室に飛田を含め。主要な役員5名が集まった。柴田会長から、社長以外の役員にそれぞれの目線で構わないので次世代経営者候補を5名程度ピックアップしておいてほしいと言われてリストを用意したのだが、リスト化したら20名になった。みな自分の部門から選んでいる。まさに優秀な部下のリストになっていないか、菊池は心配になった。
「“マトリョーシカ現象”の話は菊池さんから聞かれたと思います。今日はみなさんとフジタケの次世代を担うことになる人材の棚卸をしていきましょう。」
「あの、いいですか?」
荒木が手を挙げた。
「どうぞ。」
柴田会長がにこやかに答えた。
「優秀な部下と優秀な経営者候補は違う、とお聞きしました。その通りだと思います。ただ、今回次世代経営者候補のリストをと言われて、名前を挙げてみましたが、優秀な部下と評価された片岡も入ってしまいました。このリストでいいのか、正直わかりません。」
「わたしも同じ質問がありました。」
研究開発を統括する副社長の中川だ。
「私は前任の熊谷さんから5年前に次はお前だ、と言われて現在に至ります。熊谷さんの部下として、通算15年くらい一緒に働いてきました。熊谷さんは部下の私を後任に選んでくれたわけです。この決め方ではマズイということなのでしょうか。」
中川の発言はいつもストレートだ。菊池は柴田会長が気を悪くしないかヒヤヒヤした。
「中川さんも荒木さんも優秀な部下から選んで何が悪いのか?」というご質問ですね。」
柴田会長がにこやかに返した。
「悪くありません。だからリスト化してほしいとお願いしました。ただ、リストの中から、みなさんの後継者となる人材を見出すときには部下としてではなく、別の視点から見てほしいのです。」
「別の視点から?」
CFOの山際だ。
「はい。未来のフジタケをけん引するトップマネジメントチームのメンバーの要件を満たせそうかという視点です。」
「そういえば、これまで部長以下については人材像を明文化してきたけど、役員クラスにはそういうものがないな。」
山際はかつて人事も担当していた。
「はい、まずはそこからやりましょうか。」
柴田会長がトランプのようなものを配りだした。
「人材像カードといいます。世界中で人材像づくりをやってきましたが、これまで多く語られてきたキーワードを52選んでみました。これが全てでもありませんし、MECEになっているわけでもありませんが、人材像を考える上でヒントになるはずです。まずはこの中から次世代経営者候補のキーワードを3枚選んでください。」
カードを見ると日本語、英語、中国語で書いてある。どんなセッションになるのか、菊池はワクワクしてきた。