自分が“何者”であるかを知る。自分の生き方を考える上で大切な悟りだと思います。
先日、某企業の選抜人材向けにOrganization theater(通称OT)をやっておりました。
OTはビジネス上の修羅場を疑似体験してもらう「ケーススタディ×ロールプレイ」です。
ケースを受講していくと受講生自身が気づきます。どういう局面になると力を発揮
できなくなるのか、パフォーマンスが落ちるのか、何が不足しているのか・・・。
人は内面的に痛みを感じたときに「学び」の扉が開くものです。優秀と言われる人材の
学びにはこの体験が一番です。頭だけの学びは定着しません。このため、選抜人材の
アセスメント、幹部を対象とした有事に向けた鍛錬の場として幅広くご活用いただいています。
光る受講者がいました。頭部が光っていたということではありません。私の目に“光って”
見えた人物です。この人にはナチュラルリーダーシップがありました。事態を集約し、
他の参加者をまとめ、「周囲によい影響を与え組織を動かす」ことを自然にやっていました。
この受講者の存在により、ケースも良い感じで進行していました。ところが、途中から
なぜかその受講生からリーダーシップが発揮されなくなりました。その後、チーム全体が
混乱し始め、失速しました。
ケース終了後、この受講生に聞いてみました。“なぜ動きを変えたのか”
”昔からそうなんです。自分が目立っていることに気づくとひいてしまいます。“
惜しい。この人は自分が何者であるかを知りません。この人は優れたリーダーになれる
資質があります。ところが、なんらかの思考がそれを妨げています。ケース終了後、
フィードバックしました。
“自分が何者であるかを認識した方がいい。あなたにはナチュラルリーダーシップがある。”
ここでいう“何者”とは求められているお役目とも言えます。
私の経験上、人には以下の3つのお役目があるような気がしています。
ドライバー:衆知を集め集団に対して影響を与える役目
フォロワー:誰がかやりたいことを実現する役目
イネブラー:集団がうまく機能するように調整したり、立ち回るお役目
どのお役目が上位ということはありません。いずれも社会・集団を構成している
重要な要素です。自分のお役目にあった仕事、役職を遂行することが自分および
周囲にとって良い結果がもたらされると思うのです。
しかしこの悟りは難しいですね。自分としてこうありたい、という想いとお役目は必ずしも
一致していませんので。
私は長らく「イネブラー」でありたいと思ってきました。しかし、気がつくといつも
“なんとか長”になっています。小さい頃からそうでした。学級あるところ学級委員、
生徒会あるところ生徒会長、社あると社長・・・。そうであっても、イネブラーとして
良かれと思って立ち回ってきました。が、今から思えば結果が芳しくないことが多々ありました。
調整役には向いてないと言われたこともあります。反省です。
自分は(ユニバースは限定的なのですが)ドライバーなのだろうと、ごく最近悟りました。
もし、10年くらい前にイネブラー的役割は別の人にお願いして、ドライバー役を
割り切ってやっていたら・・・?と思うこともあり。後悔はしない性質なのですが、
回り道だったなあと思う次第です。
おまけー1:母校の上智大学で「キャリア形成論」の最終講義を担当しました。これで3回目?の
登壇です。いつも思うのですが、最も真剣なのは外国人留学生、続いてごく一部の女子と
男子の少数にやる気を見ます。大半の男子はぼやっとしています。さらに態度最悪の女子が
10%ほど。この割合は不変です。
おまけー2:自宅近くでセミの孵化が続いています。港区は自然豊かです。
おまけー3:ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHT。
「AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ展」。おススメです。
http://www.tokyo-midtown.com/jp/event/4110/
※本記事はメルマガ「人事の目」で配信されています。
メルマガ登録(無料)はこちら